2020-01-01から1年間の記事一覧
疑いようがないとされている価値(観)の共有の範囲を拡大し、その価値のプライスを下げ普及させて世界を「善」なる下敷きの上に敷こうとする方向性とは真逆に、ニッチな価値観を提出しようとすることができるのもまた、価値の創出行為である。 前者は、歴史…
知るということが、精神に何がしか物的な実在を発生させるものであるとするならば、私は知るを支持しようと思う。 だが、もしそれが単なる精神の現実世界への拡張というような空間の問題として捉えられるならば、私は知るを支持したいとは思わない。 現実の…
善と悪は対義語だとふつう考えられているが、果たして本当にそうだろうか。 宗教的な価値観の体系が社会をくまなく支配している時代や場所においては、善と悪は対義語と言っても間違いではないのかもしれない。 しかし現代のこの社会においては、それらから…
奪い合う、それが世界だ。 これに反論できる者はいないだろう。 自分を犠牲にして他者に尽くし見返りを求める人もいる。 無関心を理由に我関せずで安寧を保つ人もいる。 誰が強者で誰が勝者なのか。 誰が弱者で誰が敗者なのか。 こんな議題はこのブログにそ…
唐突だが筆者は、価値というものは絶対的に、つまり他との相対的な関係性に於いてではなく、自立して存在するものだと信じていた。 より正確に言えば、そのようなものこそが価値の定義であり、概念があるからには実在するものだと無意識に思っていたようだ。…
線とは何か。 数学の話ではない。 しかし援用はするかもわからない。 この問いはこのブログの今までの流れからすると唐突な話題に思われるかもしれないが、そんなことはないのである。 概念はいかに形成されるか。 大きすぎる問いだが、そこで分類という作業…
思惟とは考えるという営為による形成物である。 ...その材料は概念だが、概念は現実や現象から抽出されたものである。 という前提でさて、思惟における形成物とは何だろうか。 ...という“なんだろうか”系の問いは脇に置き、今回はその評価基準について考えて…
この世の中を回している原動力はなんなのだろうか? 言うまでもなくそれは真実である。 なぜならば真実とは表の裏のそのまた裏のそのまた裏の、、、、を突き詰めたところに僅かだが強烈な光を放ちつつ隠されているものだから。 果たしてそうであろうか。 哲…
人は現実と虚構の一致は求めておらず、虚構を虚構として宙に浮かせて眺めることを楽しむ。 その為、虚構を形作るためには現実からの距離が絶対的に必要であり、そこで距離とは時間的・空間的(量的)なものなどが考えられる。 創作においてもこれは同様であ…