fukakaのなにぬねのな

説明し難いと思っていたことが少し把握できたような気がしたら、とりあえず記事を書き積んで置きできればどうにかする場所の一端です。

2021-01-01から1年間の記事一覧

ゴールのないヴィジョン

私がこれまで書いてきたことは、ゴールのないヴィジョンなのではないかとふと考えた。 学術では人は細部に分け入りそれによってその成り立ちを明らかにしようとする。 そこでは対象がなんであろうと細分化された何かに特権的に光を当てるということ自体が営…

生きることと知、技術について

ただ何もない、 世界がどうあるべきだ、世界はこうあるのだ、 どちらも確実性に欠けている、 我々に言えることはほんの少ししかないどころか、何か言わんとすること自体陥穽に陥っている証拠である。 ならば美しいところだけ、もしくは醜いところだけを凝縮…

メッセージと主義、そして概念について 1

メッセージとは存在の動きに一定の方向性を与えんとすることであり、愛は、ヒューマニズム(ism)は、手堅く見落としを拾う。 だがここで注意しなければならないのは、メッセージが概念化されて主義となった時のその穏健さの丸みであり、不動の重みである。 そ…

自尊心について

人は自らの自尊心のためなら何でもする。 他人を傷つけるのは最も簡単で手っ取り早く安上がりな方法である。 それは生存本能など科学的なキーワードでは説明しづらいものである。 他人を傷つけるという言葉なら穏やかだが、実際は他人の心身の安全を脅かすよ…

問題を広げることについて

問題は、広げようと思えばいくらでも広げることができるものである。 例えば、何故筆者はこのような問題を今回取り上げようと思ったのか(原因を探る方向性) 例えば、筆者の意図はどこに置かれていると想定して読み進めるべきか(読解力、またはコミュニケ…

心があるという結論

心があるという結論に、誰か耐えられる者はいるのだろうか。 感情とは理性と同様に扱えるものなのであろうか。 巷に出回るブログなどではルサンチマンや社会現象を当事者目線で上手い具合に切り抜き、その形によって読者にすんなりと了解を与えることに長け…