fukakaのなにぬねのな

説明し難いと思っていたことが少し把握できたような気がしたら、とりあえず記事を書き積んで置きできればどうにかする場所の一端です。

自然と世界についての覚書

自然というものはまだ、完全に人間の思う通りにはなっていない。

そのことを時々思い知らされる。

しかし、元はと言えばこれもあれも自然ではないかと、ふと考える。

人間を含めた生き物、特に動物だけが自然なのではないし、植物や大気や宇宙や微生物や、、「世界」が自然なんだと。

さらに人間の思惑や思惟や創造物や感情までを含めて自然だと、世界だとするならば、これはどういう立場になるのだろうか。

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自然には法則がある。(とみなされている?)

人間は世界を自然をコントロールしようとする。これは確かなことである。

そしてそこには闘いがある。闘争がある。

 

触れ得ない世界について、触れ得ないと論ずるのは可能なのか、私にはわからないが、それは困難なことではないように思う。(同語反復であるから?)

世界の一部である人間と、いわゆる自然のせめぎ合い。

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おそらくここでは、内部も外部もない世界をイメージしているのだと思う。

それはいわゆる無限、永遠と呼ばれるものなのかもしれない。

しかし無限という言葉は、限界あるもの(空間的な?)を基準にし、その終わりのない延長というイメージであり、なにか違う。

また、永遠とは、それの時間軸上の概念のような気がする。

どちらも科学(数学、物理?)では厳密な、矛盾のない定義があるのだろうけれども。

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ここでは個人的な体感、実感について述べているにすぎないのかもしれない。

論理的または実証的な根拠もない。

ただあるのは、世界との一体化に似たボンヤリとした一瞬の実感である。

というと相当スピリチュアルな匂いがするかもしれないが、そこに自我に似た何かがない筈もない、と思う。

なにか大それた理論の構築や発見が私にできる筈もないが、考えたことを、考えながら、今日ここに記すこととした。

 

追記:思惟、意志、意識というものについても考えなければならない。