視覚芸術としての踊りについての覚書
踊りというものはその鑑賞者である限り直接的には視覚体験(視覚芸術)にしかならないことはずっと以前から気になっていた。
踊りとは何か、と問う時、素材を身体に取り時間軸上における形の変化すなわち動き(!?)をメインに展開したものである、と答えることはできる。
勿論鑑賞者は、単純な視覚体験、視覚への刺激以外の何かを受け取っているはずである。
その何かを作り出し感じたい。それは新しくなくても良い。美しければ尚良い気もするが必ずしもそうでなくてもよい(醜ければいいという意味ではない)。
もっと言えば、視覚への刺激を取り除いた時に残る踊り的な何かについて考え、それを感じさせるような作品を作りたい。
と言うと、言葉やジェスチャー、オブジェやテクノロジーをプラスしそれらプラスアルファの方に焦点を当てた総合芸術的な作品を連想してしまうが、それらとも一線を置きたい(方法としては使うとしても)。
となると消去法で何もできなくなってしまい、結局は代わり映えのしない所謂ダンスを踊り、 踊ってみた、とキャプションを付けて放流し、事実上ほぼ終わりになるのだろうか。それでもよいのだろうか。
わからないが、この考察から何か試みることは不可能ではないように思う。
この考察自体が踊りである。などと書くと何やらそれっぽいエッセイのようだが今後のためにとりあえずそれでヨシとしておく。