覚書
世界観と身体観(肉体観)は無関係ではない筈だ。
現代の日本の世界の表象はゲームとアニメとキャラクターのそれで埋め尽くされているように思える。
戦場と救済のフィールドが資本主義の生み出したコモディティーのなかに見出されて消費者という勇者を奮い立たせているのだろうか。
新たな身体観を生み出すにはどこをどう見ればいいのか。
生み出す=生産ということに価値を置くこと自体もう古い考え方なのかもしれない。
わからない。あるものを捉えるだけでよいのかもしれないがその考え方もまた古く感じる。
はたまた、無料のコンテンツに溢れているこの時代、個人が自腹でコストをかけて何かを死に物狂いで生産することは、誰に何をもたらすのだろうか、、。