価値についての覚書
価値とはなんだろう。
普通に考えれば株価のようにマーケットにおける相対的な価格を指すのかもしれない。
不動産や金銭などの財産に価値があるというのは当たり前すぎる話でもある。
それは俗世だとして科学や信仰や芸術には独立した価値があるという考えもあるだろう。
価値相対主義という考え方もある。
そもそも、価値とはなにかという問い自体が大きな限界を既に含んでいるような気もする。
より多くの人が意味を見出すものが価値であるのか。
全てに意味を見出すことが価値であるのか(価値と存在とが同義?)。
その昔交易であったように目新しいものが価値とされるのか。
皆、価値というものについて無頓着すぎはしないか。
価値とはおそらく現代において、生きる条件ではない。
生きる価値がないという言葉もあるくらいであるから。
であるとするなら、現代における価値とは、経済用語でいうところの付加価値のようなものとして捉えられているのか。
そうかもしれない。
どことなく虚しいが、生死がかかわるような場面での価値や意味を考えると、途端にわからなくなる。
もしかするとこの問い方では十分な考察はできないのかもしれない。
だが少なくとも言えることは、このような考察を営むこと、問いを立てるということに、価値を見出しているということであろう。
方法として有効でないとしても。
そもそも、の代わりに
だからさあ、や
そう言えば
ところで
などなど
一見表層を撫でるような言葉遣いで考察を試みたら何か別の成果が得られるだろうか。
それとも問いを立てるという営み自体がもう時代に即していないのか。
そもそも時代に即するということが自分にとっての課題なのか。
少し問いを立て過ぎたようである。