本質についての覚書
本質とはなんだろうか。
言葉遊びと取られてしまいそうだが敢えて言い換えてみると、本質の本質とはなんだろうか。
通常、本質と言う時は、物事や人の深い所にあり行動や思考に最も大きな影響を与える何かのことを指すのだろう。
表層であるとかポストモダンであるとか、現代思想にかかわることについては筆者は完全に無知であり何もわからないが、だれかこの問いに答えたことのある人物はいるのだろうか。
いや、それはこのブログの、自分の頭で考えるという基本的な方針とは異なる。
考えを進めるためにさらに言い換えてみる。
例えば、
本質が問題となるのはどのような時と場合であるのか。
本質とは変化しないものであるのか、または変化することが困難なものであるのか。
本質とは何かに与えられた外来的なものであるのか。会得するものであるのか。生まれ持って来るものであるのか。
本質を見定める目的とは何か。
本質を見抜いた時に開かれるなんらかの可能性はあるのか。
書き出してみると切りがない。
本質という単語の言い換えには何かあるか。
結論。今のところこの単語しか思い浮かばない。
言葉本来の意味からははみ出すかもしれないが、論をそれ以上省けないところまでシンプルにした形。
と、ここまで書き進めて思い至ったのは、本質もやはり、他の様々な事象と同様に、観察する者(とされる者)という存在を前提にした概念であるということである。
(となると関係性を最重要視する考え方が連想されるが、やはりそれについても詳しくないこともあり、ここでは触れないこととする。)
もしここまで読んで下さった読者が仮にいるとして、何か得るもの、またはそれに繋がるもの、はあったであろうか。
少なくとも筆者にはあった。
ような気がする。
しかし次の一瞬にまたわからなくなるのも本当である。
(仮)