構成するということについての考察
何かを構成しようとする時、必要な素材としていくつかの要素が考えられるように思う。
骨幹となるメソッド、手法
作り手の能力(手法をアプライする能力)
媒体
ここで問題になるのは
1.そもそも構成するとはどのようなことか。
その目的はなにか。
構成とは、対象における秩序であり、それを自ら作り出す場合、秩序をもたらすということである(仮)。
構成をしない、という場合を考えると、それは無秩序にあたる。
完全な無秩序というのはありうるのか、というと、事物の相互関係から外れた(または外れうる)存在などないと仮定すると、秩序のレベルは、少なくとも日常生活レベルでは相対的な物差しであるということになる。
完全な無秩序とは、例えば街中の乱闘や散らかった部屋などが思い起こされるが、それらは街、あるいは部屋、という区切られた空間のなかにあることは自明である。
既存のあるいは想定された秩序が崩れるとき、人はそれを無秩序と呼ぶ。
逆に、秩序だった何かを考える場合、それらに多く見られるのは
一定の存在(場所、限定された時間、上下関係など)であり、それらは固定化されていて流動的でない。
構成=秩序の構築と考える場合、
その根幹を成すものとして
ルール、つまり公式の存在が考えられる。
どのような公式に従って事物を配置するか、
ランダムか連打か、1時間か
そして媒介は何か。
時間、空間、素材。
美術作品、例えば絵画や彫刻などは、多くの場合止まっている。音楽や演劇、ダンスは時間軸に沿って動く。
美術は空間を即物的に占有するが、音楽が占有するのは空間ではなく、イメージである。
素材に関していえば、既存のものを組み合わせたり加工したりして新しくなにかをつくること、または、何かを切り出して使うこと、などが考えられる。
これら全てから逃れることのできるクリエイティブが存在するかというと、それは怪しく思われるが、
既存のメソッド、既存の秩序、既存の媒体、既存のプレーヤーもしくは作り手、
これらのうちどれかを揺るがすことで、なにか今までにはなかった新しいものを作れる、かも、しれない。