fukakaのなにぬねのな

説明し難いと思っていたことが少し把握できたような気がしたら、とりあえず記事を書き積んで置きできればどうにかする場所の一端です。

作品を遺すということについての若干乱暴な考察

私の肉体は作品xであり
もっというと私の存在自体が作品であり
私の不在に至ってもまた、作品である

社会の中においては自然数1で表現され
収入や納税においては数桁で表現され
集合においてはわからない

存在するだけで既に作品であると自分勝手に仮定した時
存在を維持し延長することが作品の発表と同義となる
それが現在の自分のスタンスであり作品であるということになるのだが
形としてなにかにを遺すということを考えた時
墓石や呼吸や書きなぐっただけのテキストや経験と学習に基づいた即興演奏以外に
では、どんななにをどのような形で遺せばよいのか、誰のために遺したいのか
誰かがそれを必要としているのか果たして
そんなことは問題ではなく
ただ単に自分自身の納得感と満足感だけのために
なにかを遺すということを
時折考えたり忘れたり

ということを

とりあえず遺しておこうと思い立ち

ここにのこすことにいたしましたので

つつしんでよろしくお願いいたします