作品を遺すということについての若干乱暴な考察2
人間の肉体という時、私は骨、骨格というものを信奉に近い形で考えていたことにごく最近気付いた。
で、日本では死後は火葬されるのが普通であるのだから、死後、作品として骨を遺すことができるではないか!と思ったのである。
しかしそれで自分は満足できるのか?
ほろほろになった粒子の荒い粉(?)に限りなく近い形状(?)となって、満足できるのか。
それはわからない。
という訳で冒頭の、今日見た骨のない生物の動画である。
これはなんなんですか。
生物とひとくくりにしてよいのですか。
生物とはなんなんですか。
この触覚のような2辺というか2片の突起は。
衝撃愕然日常生活。
庭に離してあげなければ。
などと言っていていいのか。
いいのだ。
私は人間として生まれて良かったのか。
そもそも選択肢なんてある訳ないじゃないか。
ナメクジに生まれ変わる可能性なんてあるのか。
ないんじゃないのか。
鳥葬してもらってカルシウムとして摂取してもらえたら何か?意味が?あるのか?
軟体になりたい。
せめて肉は。この肉は。
〈続く〉